旧友芥川龍之介【文スト夢注意】

夢主 文スト どうしてこうなった
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いつ見ても彼の眼は澄み切つていたが、彼の感情は常にあたたかく揺らいでゐた。

彼の表現があまりに隙のないやうにと工夫を凝らされてゐる為に、彼の作品がつめたい感じを惹き起こすことがある。

日常の彼の行動には沢山の隙があつた。
彼はそれを意としなかつた。

だから彼から直接につめたい感じを受けたことはない。


『旧友芥川龍之介』恒藤恭

散々彼はさかんに人を罵倒した。

彼は時には(子供らしく)虚勢を張つた。

しかし法螺は決して吹かなかつた。

恒藤恭は足立を構成するパーツのうちの一人です

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↑太宰さんのエ●本を探す話が殿堂入りしたことへの感謝と謝罪を込めたイラストでした。
登場した全てのキャラが被害者となったアホ話で大変申し訳ございませんでした…………
読んでくださった全ての方に五体投地……!!!

.

芥川さんと恒藤さんのエピソード、逸話、彼らの日記や手紙のやり取りなどからとった設定が多いんだけれども、「小説だけじゃあ中々伝わらないしんどみ」……。

作中の芥川と足立の友人関係が一見深すぎてやばめに見えるとしても、史実をかなり希釈してるんですと言い張りたいので、
恒藤&芥川の仲良し度を示すコーナーを作ってしまおう ということで唐突に書いてしまいました。

恒藤恭の『旧友芥川龍之介』(※著作権は切れている)から引用した部分を取り上げ、史実が夢小説内の足立と芥川の会話でどのように反映されているのか&恒藤恭と芥川龍之介の友人関係がどれだけしんどかったかをお伝えしたいと思います。

ちょもちょも書けたら更新して行くので、よかったら覗いてやってください笑笑笑笑

Q.お互いのことはどう思っていますか?

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恒藤→芥川
「私などの到底及び難い、すぐれた天才的な能力をもつてゐる友人として、私は芥川に深く敬服してゐたものであつた。それだのに、あべこべに芥川から、彼自身を過度に卑下した文句をつらねた手紙をもらつて、甚だ拘泥たるものがあつた。私が書かれるに全く値ひしないやうな過褒のことばが、その中にはくり返し書かれてあつたからである。」

→謙虚を通り越した卑下の文へのフォローが圧倒的に多い。

芥川氏から恒藤氏への手紙が凄かった

まあ、読めよ。(遠い目)


「自分はここで三年間の自分の我儘に対する君の寛大な態度を感謝するのを最適当だと信ずる。自分は一高時代の記憶はすべて消滅しても、君と一緒にゐた事を忘却することは決してないだらうと思ふ。」

「要するに君が京都へいつたのはよくない。あはうと思つても一寸あへないのはおそろしく不自由だ。手紙では埒があかないし、ゆくには遠いし、甚だよくない。」
→芥川の文学的才能を前にして進路変更し、東大ではなく京大へ進んで行ってから、それにご立腹であるという内容の手紙を何度も送る芥川氏

「もう二週間で学校がはじまると思ふとうんざりする。ほんとうにうんざりする。(中略)更に正直な所このうんざりした心もちは、みんなに逢ふ事が出来ると云ふたのしみよりも遥に力強い。
うんざりせずにすむのならば、皆と一つ処に集らなくたつていゞ。第一僕は君と寝ころんで話をする外に、そんなに逢ふのを楽しみにする程の人を知らない。(尤も誰でもさうかもしれないけれど)。
(中略)逢つて見たくなれば訪ねてゆく。」
→本当に何度もやってくるし、恒藤も春休み中全ての休日を東京の芥川家で過ごしたことも。

「兎に角自分は終始君の才能の波動を自分の心の上に感じてゐた。此事は君が京都の大学へゆく事になり、自分が独り東京へのこる事になった今日、殊に痛切に思返へされる。」

「君は自分が君を尊敬してゐることはしつてゐるだらうと思ふ。けれども自分が如何に君を愛してゐるかは知らないかもしれないと思ふ。我々の思想は隅の隅迄同じ呼吸をしてゐないかもしれない。我々のの神経は端の端までつれあつてはゐないかもしれない。しかし自分は君を理解し得たに近いと信じてゐるし、君も又これを信じて欲しいと思つtrゐる。」

「一緒にゐて一緒に話してゐる間は感じなかったが、愈々(いよいよ)君が京都へゆくとなつて見ると、自分は大変さびしく思ふ。時としては悪み、時としては争つたが、矢張三年間一高にゐた間に一番愛してゐたのは君だつたと思ふ。」

抜粋したのはほんの一部分ですが、このような文章がいくつも残っているのが凄い。
この手紙達は芥川が亡くなってから三十五年以上経ってから公開されたもので、全集に芥川氏の手紙を寄稿してくれと頼まれても、恒藤は頷かずにずっと家に置いておいたとのこと。

手紙からわかる 芥川氏が恒藤氏へ持っていた印象

・生まれも育ちも考え方も、正反対の人

・自分は向こうを理解しているという自信がある。

・おおらかで優しい雰囲気が好き。我儘を言っても許してくれる相手
(彼を説明する上で「寛大」というワードがかなり出てくる)

・体調管理にうるさくて、その関係で言われたことには逆らえない

・「超然たる秀才」として尊敬。でも嫉妬の対象になることもある。それがきっかけで喧嘩をふっかけた事はあったが、相手が穏やかだったので特に喧嘩にはならなかった。それに関しては終始感謝している。

・理路整然とした思考回路の持ち主。現実主義者。「冷静なる感情家」。

・対等の親友

・善悪のあり方に拘るのが鬱陶しい。

・世話好き。(赤城山に登った時、朝に四時前に起きてきて、登山の支度をしろと皆を起こして回るetcの世話をやいている場面を書き残す)

(私の主観が8割なので、これを鵜呑みにしちゃいけませんが、大体このようなことが読み取れました。

これらの情報がかなり足立の設定を編み上げる上で活用されました。)

恒藤氏から芥川氏に宛てた手紙もすごかった

◎恒藤さんが高校を卒業してから、芥川さんの文学的才能を前に進路変更を決定してから、別離の寸前に送られた
手紙は、公にせずに自分だけのものにしたい ということで資料として残っていない。
その際、恒藤さんから芥川さん宛に送った手紙の草稿は本人によって明らかにされているが、それもなかなかに恋文まがいの内容に仕上がっている。

「僕には値しないほど君があつく注いでくれた好意がこの2年間にどれほど積もったか。今またそれの表れに触れた時、君の示してくれたやさしいこころは、なぜかメスのように鋭くいたく感ぜられる。」

「世の中がさびしい。生というものは淋しい。二人一緒にいると、大分さびしさが薄らぐような気がした。真実、君から求められるものは其れだけであったかも知れないし、またそれだけが何よりも有難かったのである」

その他省略事項
・一緒にいた時にイラついたことは一回もないけど、遊びに誘ってすげなく断られた時は正直腹が立った。

手紙からわかる 恒藤氏が芥川氏へ持っていた印象

※芥川のように気持ちをストレートに書くのではなく、「一緒にいた時の思い出」を羅列するタイプのため、ちょっと分かりづらい。とりあえず友達として大好きなのは凄いわかる。

・生まれも育ちも考え方も、正反対の人

・才能溢れる親友として尊敬。しかし一番芥川を理想化していない見方をしている。知識人としての芥川よりは、等身大の友人のまま接し続けていた側面が濃い。

・優しい心を向けてくれる人(好意が苦しく思われることも多々あり)

・卑下混ざりの謙遜だけは勘弁!

・不安がり、厭世的な部分を非常に心配している。会いたいからというのもあるけど「そろそろ馬鹿なことを考えやしないか」と思い至って、会う約束をさっさと取り付る

・ドジっ子属性を「彼らしいユーモア」と表現する

・風呂嫌い、神経質、情緒不安定。

・神経質で悲観的な部分が現れた作品を読むのは苦痛だった。

・勝負事は嫌いな性質。軍事趣味は理解するけど、軍国主義は否定派。
相手を負かすことも愉快ではないが、負かされる方がもっと嫌、という気質を見抜いている。

・芝居の鑑賞、音楽鑑賞、美術鑑賞などが二人の遊びだったが、かなりバッサリと芥川に趣味を真っ向から否定されることもあった模様。それらに関して憤りは感じていないが、唯一枯れたツツジの絵を牛だと間違われたことに関しては根に持ち続けている。
あまり趣味は合わなかったが、一緒にいる為だけに長時間滞在できる場所を選んでいた。音楽に関しては自分の方が上手だったと自負する。

・共通の趣味は軍艦萌え。熱中具合としては、カブトムシに子供が執着するようなイメージ。

・長ったらしい会話は嫌いだけど、自分からふっかけた話題や議論では普通に矛盾したことを言ったりする。

・中学在学中に胃腸の病気にかかり、4年間病床についた経験から、自分の健康管理は徹底していた。高校時代は一緒にいた芥川にも熱心に同じ努力を勧め(本人曰く「執拗な干渉」)、在学中は健康状態を維持させることに満足感を覚えていた。

→「甚だ迷惑だつたに違いない」と断りを入れた上で世話を焼き続けていた模様

・芥川が自殺したことに対し、驚きは特になかった。原因を究明しようとも思わない。「芥川がようやく生き地獄から解放された」点では安堵がある反面、それ以上に二度と会えなくなってしまったことに苦痛を感じている。

→芥川氏が亡くなってから火葬に立ち会い、骨を見た瞬間「きれいに焼けて居るな」と感じたとのこと。

「この骨を芥川に一と目見せてやりたいものだな」、次の瞬間にはそんなことを考へてゐた。そしたら「ああ身が軽くなつちやつた、うれしいぜ」と言ふだろうとおもつた。

その他、恒藤氏の芥川愛が伝わるエピソード

東京へ行く用事がある際は、芥川の家を下宿先にしていた。(春休み中 ずっと芥川家に下宿していたこともある)
芥川も同じように京都に用事がある時は恒藤の家に泊っていたが、予定がかみ合わず、芥川単体で宿へ行くことになる。
その結果 友人宅を下宿にすることに慣れ過ぎてしまった芥川は、まさかの迷子になり大騒ぎになる。

このことを根に持ったのか、芥川さんは、恒藤さんに手紙で書いて送った後に日記にも書き、新聞のコラムにも迷子エピソードを載せた。
恒藤さんは単純に申し訳なかったと思ったそうだが、これは完璧に無罪なのでは…。

(芥川さんの家族は皆、恒藤さんが電車に乗って帰ることになると 悲しそうに見送っていたとのこと。家族ぐるみで付き合いがあるのは凄い)

かなり筆まめだったので日記を書き続けていたそうだが、その日記の芥川出現率が凄い。

「午後の授業が済んでから芥川君と寮の二階にいつてねころんだ。
けふの先生と生徒との席の配り方などを相談する。etc……」

→菊池寛の話をして欲しいと頼まれたので、過去の日記から菊池寛との会話を抜粋したら 芥川さんについて書いた部分がいたるところに出てきてしまっているのが余裕でバレてしまう。

死期が近い人を察してしまうエピソードも、地味にちょもちょも残っている。

夢の中に故人が出てきて、結果的に予知のようになってしまったことを気味悪がっている話。
恒藤さんの日記から抜粋。

それから、おとゝひのあさのこと、後藤君から福間さんの死をしったとき、来るべき事とハしりながら、とうとう死なれたかと気のどくであった。
「おとゝひ? ぢゃア、君のゆめにみた日ぢゃないか」と芥君がいふ。

「そうそう、不思議だね。ほんとうにあの日だ。そのなんだらう、福間さんがなくなって、いろんな通知なんか出て、僕たちが休みだっていってゐると、福間さんが元気なかほをして、黒いせびろのあたらしいのをきてやってきて、なんだ僕が死んだって、そんな事があるものか、このとほり、いきてるぢゃないか、と言ったゆめさ」
「だからさ、ミステリイがあると僕がいふんぢゃないか」と芥君がいった。

この後、面白がる芥川さんと怖がる恒藤さんの会話が続く。当時二人は高校生。

芥川さんと最後に会った時のこと

「ふと、此れきりでもう會へないのぢやないかしらと云ふやうな豫感があたまの中に閃いた。瞬間ひじやうにさびしい氣がした。が私は直きに、そんなことはないと理性によつて打ち消した。けれどもやつぱり其豫感が事實となつてしまつた。」

→この辺りは小説本編で使う予定の設定なので、本編で書くまでは詳しく書きません

これからもズブズブに仲良しな芥川と足立を書いていきたいと思っています。
作品を読んでくださっている間、これらの元ネタの方々のことも1000分の1ぐらいで思い浮かんで懐かしんでくださると幸いです。

素朴で良い関係の友人同士は最高なんじゃ!!!!
閲覧ありがとうございました!!!

恒藤の人となりがわかるかもしれない作品紹介

「ひとつの感想」

なんぢのことばの
なんぞ壮んなる
敗れたる此の國の人々を
罵り散らす
なんぢのことばの
なんぞさかんなる

われは正しかりき
いまもわれは正しと

自己肯定の
こころにたかぶり
いつまでかなんぢはののしる

→反戦主義・天皇制反対・学問の自由を訴え続け、大学の教授時代の教え子たちが次々に戦争で亡くなっていくことを嘆いた彼らしい散文詩。
戦争中から反戦を強く訴え続けた数少ない哲学者の一人でもあり、軍国主義的な思想の一切を嫌ったという。

(題名なし)

神ハ常ニ上ニ見テリ
命ノ実ヲ園に蒔キテ
実レル時貪リ喰フ
神ノ上ノ故ニ縁テ
神ノ皆ヲ誉メ讃フヤ
儚キ実ヲ結ベル者


(私の勝手な解釈的なもの)
神様は常に、上から我々をご覧になっている。
命の実を極楽の園に蒔き、実った時に貪り食う。
しかし神様は天高くにいらっしゃるものだから、皆 褒め称える。
我々は、儚い命の実に過ぎない

→なんだかちょっと、厭世的

「おもひ出」

ほのかなる思ひ出あり
あざやかなる思ひ出あり

いきどほろしき思ひ出あり
いともかなしき思ひ出あり

今もなほ胸ふくらむがごとき思ひ出あり

思ひ出づるもはづかしき
おもひであり

おもひでこそは
いとほしく
はかなきものか

来る日も来る日も
わづらはしき世の務めに
あわただしくも
過ごしつつ

時ありて
おもひ出の網を
たぐり寄せ
忘却の海に
立ち向ひつつ
よせては返す
白浪の
しぶきの中に
すなどる人の わが姿かも

→すなどる=漁をする の意。
芥川さんの自害の原因はわからないけれども「気持ちはわかる」と零した彼にも厭世的な情緒があったのかもしれない

乗る毎に
顔を合はせる顔があるし
おそらく生涯に一度しか
顔を合はせない顔もある
不思議なやうも気がするし
不思議でないやうな気もする

いくたび顔を合はせても
好もしい顔があるし
一度顔を合はせるのも
いやなやうな顔もある
あたりまえのことに思はれるし
さうでないやうにも思はれる

いつたい同じ顔つきをした人は
決してふたりとありはしないだらう
だがよく似た顔つきをした人は
なんとざらにあることだらう
よくしたものだと言へるやうだし
さうばかりも言へないやうでもある

顔の出来上がりに
必然と偶然の交錯があるらしい
何もかも神さまの
出たとこ勝負のしわざらしいが
顔の持ち主こそ
いい迷惑ではないか

すがすがしい秋かぜに
こころよく吹かれながら
京都と大阪のあひだを走つて行く
電車の中のつれづれに
そんなことを考へていた

「顔」

→神様=無情の存在として捉えている節がありそう

山々のうへに
憩ひあり
木々の梢に
そよぐかぜの
けはひもなく
森の茂みに小鳥はもだしつ
待てしばし今はわれも
憩はむものを

翻訳『旅びとの夜の歌』ゲーテ

→ドイツ語、フランス語、英語、ラテン語の読み書きができたらしい。
尊敬している作家はゲーテ。

文ストのゲーテは超越者なんて呼ばれるラスボス感がある人なので、今後の情報公開を期待。

アバンギャルド・マボ


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マボさんめちゃくちゃ画力上がりました…??指とか立ち姿とかポーズとか…えぇ、すげぇ…
ちょうちょ結びが下手な足立君がめちゃくちゃ可愛かった…「清純派(笑)」な太宰さんを弄り倒したい、ちゃんとあの人も18歳の青年なんだなぁ…あの人は原作だと、色々人間離れし過ぎてますから…😌画面越しでめちゃくちゃニマニマしてました笑
「旧友芥川龍之介」をAmazonで見たら、中古で14.997円でビビりました…(゚ω゚)マボさんは人物の背景や特徴を、かなり小説に反映させてて本当に素晴らしい…ご本人等への愛が凄い…


無題。


るとさん》
閲覧ありがとうございます(´;ω;`)
画力上がりましたか?!?!それはとても嬉しい…お絵かき楽しいです☺️

そうなんです!希少価値は高いです!!旧友芥川龍之介は絶版本な上に発行部数が少ないので、買って手元に置いておくことは絶望的です…なので現在、大学の図書館にあったものを借りて読み漁っている状況です笑笑

史実はいいぞ!!
fate、文アルのように「史実が殴ってくる」物語が好きなので、趣味全開で資料を読んで できる部分まで反映させるようにしております。
文ストを読んだ時に「この芥川さんに友達がいたとして、どんな人だったら普通におしゃべりできるんだ」と疑問に思い、史実で仲がよかった人はいるのかな…と調べた結果、「この人をモチーフにすれば文スト芥川さんでも仲良くなれそう!!!」と思い至ったのが 恒藤さんとの出会いでありました。
菊池寛や久米正雄の方が有名ですが、恒藤さんも芥川さんの大親友なのです…

るとさんも資料を集める派なお方ですが、サドさんは史実がやばすぎて希釈しないとあかんやつですよね…笑笑
知れば知るほど 年齢制限が…。
彼をサーヴァントにしたら マスターがものすごいことになりそうです笑笑笑笑


アバンギャルド・マボ


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